※この記事は体験談であり、特定の投資を推奨するものではありません。投資は自己責任でお願いします。


今日も何気に上がっている。 今朝、目が覚めて真っ先にスマホを手に取った。寝ぼけ眼で証券アプリを開くと、S&P500の数字が鮮やかな「赤色」に染まっている。上昇だ。その瞬間、脳内に心地よい物質が流れ、私の1日は最高のスタートを切る。

「一喜一憂するな! 航路を守れ!」 画面の向こうから、リベ大の両学長の声が聞こえてきそうだ。投資の鉄則は、淡々と積み立て、市場のノイズに惑わされないこと。それは百も承知だ。だが、この数年、私はどうしても毎日このルーティンを繰り返してしまう。

思えば、投資を始めてからの数年間は、まさに感情のジェットコースターだった。 パンデミックによる「コロナショック」の時は、この世の終わりかと思うような速度で資産が溶けていった。あの時は、あまりの恐怖にスマホの画面をそっと閉じた。いや、「そっと」ではない。全力で現実から目を背けたのだ。

しかし、その後の回復期には一転して、スマホを眺めるのが楽しみで仕方がなくなった。あの上昇の凄まじさと言ったらなかった。そして2022年、またしても試練が訪れる。金利の上昇とともに株価がじりじりと下がっていく。そうなると、また私は画面を直視できなくなり、アプリの存在すら忘れたふりをした。

そしてこの2年ほど、市場は再び力強い上昇を見せている。 今では、気になって気になって、ほぼ毎日株価をチェックしている。 これはもう、一喜一憂なんて言葉では片付けられない。もはや「恋」だ。初恋の相手からの返信を待つ中学生のように、私は指数の動向に心をときめかせ、時にはやきもきしている。

氷河期世代の「握力」は、諦めと希望のあいだで磨かれた

なぜ、私はこれほどまでに一喜一憂しながらも、投資を投げ出さずに続けてこられたのだろうか。 ふと考えたとき、その理由は私のルーツである「氷河期世代」という背景にあるのではないかと思い至った。

私たち氷河期世代は、人生の節目節目で、常に容赦ない向かい風を浴び続けてきた世代だ。 社会に出ようとした瞬間、バブル崩壊の余波で門戸は閉ざされ、「努力が必ずしも報われない」という現実を若くして突きつけられた。ようやくキャリアを積み上げようとすればリーマンショックが襲い、一息つけるかと思えば今度は未曾有のパンデミックだ。

自分の努力や意志とは関係なく、世の中の情勢一つで人生の選択肢が削り取られていく。そんな理不尽な環境で私たちが身につけたのは、ある種の「達観」だった。

「今はダメでも、いつかまた風向きは変わる」 「今は嵐が過ぎ去るのを、じっと待つしかない」

この、半分諦めにも似た「やり過ごす技術」こそが、投資の世界では最強の武器になった。 多くの投資家がパニックで売ってしまう局面で、私たちが「目を背ける」ことができたのは、現実逃避ではなく、生き残るための生存戦略だったのだ。

若い頃、私たちは自分の力ではどうにもならない巨大な荒波に揉まれてきた。それに比べれば、スマホの画面の中で数字が赤から緑に変わるくらいの変動は、実は大した問題ではない。2022年の下落相場で画面を見たくなくなったのも、深層心理では「今は見ても仕方のない時期だ」と、経験則でわかっていたからなのだろう。

「一喜一憂」は、生き抜いてきた自分への報酬

インデックス投資の理想は、もちろん「機械的に、感情を殺して」続けることだ。 だが、私たちのように苦労の多かった世代にとって、右肩上がりに増えていく資産を確認することは、単なるマネーゲーム以上の意味を持っている。

それは、あの厳しかった時代を耐え抜き、コツコツと働き、倹約して種銭を作り、リスクを取って市場に居座り続けた自分への「答え合わせ」であり、小さな「報酬」なのだ。 一喜一憂しながらも、結局は売らずに持ち続けている。この「握力」こそが、氷河期をサバイブしてきた私たちの強さそのものだと言える。

「一喜一憂するな」という教えは、正確には「一喜一憂して売買のボタンを押すな」という意味だろう。 数字を見てニヤけるのは自由だ。明日、もし暴落して画面を閉じることがあっても、それは私たちが何度も経験してきた「一時的な嵐」に過ぎない。

「時間を味方につける」という言葉の本当の重みを、今、これほど噛み締めている。 若い頃の私たちには時間がなかった。あるいは、時間があってもそれを味方にする心の余裕がなかった。しかし今、私たちは「待つことの価値」を知っている。

さあ、明日もまた、私は期待と不安を抱えながらスマホの画面をタップするだろう。 たとえどんな数字が出ていたとしても、私はこの航路を降りるつもりはない。 この「恋」のような一喜一憂を楽しみながら、氷河期世代の粘り強さで、ゴールまで走り抜けていこうと思う。

長い冬を越えた先には、必ず春が来ることを、私たちは誰よりも知っているのだから。