ある日、職場の子が携帯を持って話しかけてきた。

何の話だったか覚えていない。仕事の話だったかもしれないし、全然関係ない雑談だったかもしれない。ただ、携帯を持っていた。

「何かな」と思いながら普通に会話して、普通に終わった。


後から気づいた

しばらくして気づいた。

あれ、LINE交換してほしかったんじゃないか。

携帯を持って話しかけてくる。それなりに話が続く。でもこちらから何もしない。そのまま終わる。

その意味を、しばらくしてから理解した。遅すぎる。でも後から気づいてよかった、とも思った。


気づいてたら絶対会ってた

もしあの時気づいていたら、どうなっていたか。

LINE交換していた。そのあと連絡を取り合っていた。連絡を取り合ったら、絶対会っていた。会っていたら、本気になっていたかもしれない。

ヤバいヤバい。

思い返すたびに「鈍感でよかった」と思う。


鈍感で助かった

モテる男になりたいと思っていた時期がある。

そのために感度を上げようとしていた。サインを読めるようにしようとしていた。

でも鈍感でよかった場面もある、と今は思っている。

気づかなかったから、何も起きなかった。何も起きなかったから、今がある。

妻もいる。資産もある。仕事もある。家族もある。それが今の俺の全部だ。

あの時LINE交換していたら、今の何かが崩れていたかもしれない。鈍感さに感謝している。


余裕があると、サインを出される

余裕が出てきてから、こういうことが増えた。

痩せて、資産が増えて、自然に人を褒めるようになった。すると反応が変わった。サインらしきものを感じる機会が増えた。

余裕のある男はサインを出される。でも全部受け取っていたら大変なことになる。

受け取るかどうかは自分で決められる。受け取らないためには、気づかないか、気づいて無視するかだ。

俺の場合は、最初から気づかなかった。結果オーライだ。


適度な鈍感さも処世術だ

鋭すぎる感度は、時に危険だ。

全部のサインを拾って、全部に反応していたら、生活が崩れる。

気づかない鈍感さが、安定した日常を守ってくれることがある。

ヤバいヤバい、で乗り越えてきた。

40代サラリーマンの処世術として、適度な鈍感さを推しておきたい。